の日曜日、ふと 思うこと・・・ 

  某スキー紙をつらつら読んでおりました--


 年が明けても、社会全般に暗雲が垂れこめていて、どうも意気が上がらない。スキーの世界も例外なく影響を受けている。

今年の正月は十数年ぶりの雪に恵まれたのだが、明るい話はなかなか聞くことができなかった。こんな時はジタバタしても始まらない。スキースポーツを生涯の趣味として楽しむ身としては、ちょっと落ち着いて、今までの、そしてこの先のスキーを語ることも時には必要かと思う。


 日本のスキーはレルヒ少佐のスキー事始め以来約90年、よくぞここまで、というほどに発展してきた。

ほとんどのスポーツ団体はそれぞれのスポーツの「普及及び振興を図り、もって国民の心身の健全な発達に寄与する」 ことを願って設立されるものだが、その観点からスキーを採点するとダントツと言っていいのではないか。

はっきり言うと日本ではスキーの普及・振興がうまくいきすぎた。

言葉を代えると、スキーの大衆化にもっとも成功した国と言ってもいい。だからスキーは敷居の高いスポーツではなくなり、誰もがしようと思えばできる身近な遊びにすることができた。


 なにしろ一時期は、全世界のスキー産業(インダストリー)の約40%を日本だけで消化していた。たとえばイタリアのA社のブーツ、年間95万足を製造して日本が47万足輸入なんていうこともあったぐらいだ。

事業所別にカウントして約700といわれるスキー場の数にいたっては、ほとんどの欧米人は信じてさえくれない。

「東南アジアの小さな島国にそんなにあるはずがない。だいたい雪が降るの?」という感覚だろう。


 もちろん 未だに700というスキー場は減っていないし、世界のスキー産業製品の消化率も20%は超えているはずである。日本一国でである。これでスキーが不振の国と決めつけられるだろうか。

むしろスキースポーツに関しては、まだまだ大成功中とも言えるのだが、なにせバブル経済期のピークが高すぎた。そこでスキーに関わる人たちは、夢よもう一度とばかり、「スキーの再生、さらなる拡充、発展を」ということになる。


 もちろんスキー経済の回復を願ってのことだ。ピーク時にできあがったスキー経済システムは、スキー人口の数年続けての低減で、動きがおかしくなるどころではないほどダメージを受けている。

構造問題である。そこで改革なくして成長なし、となる。ちょっと待って。成長と言ったって、レジャー白書のスポーツ部門データによるとスキーは国民の余暇活動の参加者数、参加率一位の座に揺るぎがない。


 そんな中で、バブル期の再現を誰が望んでいるのか?スキーヤー、スキー場、はたまたスキー宿の経営者?そこで着目したいのは、構造問題の構造の質である。

ひとつは、流行迎合・大量消費型構造。
もうひとつはスキーの魅力の変容という本質的な構造問題。どうもこのふたつをごちゃ混ぜにして論議しているような気がしてならない。

明確に言ってしまえば、日本の場合は、バブル期の異様な高揚感に乗って、スキーは市場経済至上主義に走り、若者迎合、流行礼讃が最先端と思われていたところ、時代の潮目がちょっとばかり変わると、とたんにそれまでのやり方がすべて裏目に出てしまったということなのではないだろうか。


 一方、ヨーロッパのスキー場は21世紀に入って、ますます元気である。主要スキー場はさらに整備され、ウィークデイといえどもホテルは満室状況という。

今年は雪不足で残念であるが、確実にスキーは復権を果たし、スポーツの王者としての地位を確固たるものにしている。一時は「もうヨーロッパのスキーは凋落だ。若者がいない」と椰楡されていたのに、なんたることだ。

 
 とにかく主体は、ファミリーと大人のスキーヤーである。かつての日本のように若者グループだけが目立つことはまずない。ここが決定的に異なっている。

こうして振り返ってみると若者に支持されないとだめになるという神話は、果たして本当だったのだろうか。あるいは、一時期若者に異常に支持されたという一過性があり、それにうかうかと乗ってしまったことが今日の問題を抱える源だったのか。

弊社が属する出版界に「ベストセラーよりロングセラー」という格言がある。一時の爆発力より堅実な歩みが、文化を、あるいは社を熟成させる、というわけである。


 一方、スキーの魅力に変容があったかという本質的な問題を考えるとき、スキーの魅力というものをあらためて突き詰めていくしかないのだろう。

スキーヤーなら誰もが知っているであろう"スキーはスポーツの王者"の原文にたまには触れてみるのも、考えさせられるものがある


 『あらゆるスポーツの中で、その王者に値するスポーツは、スキーをおいてほかにない。スキーほど筋肉をきたえ、からだをしなやかに、しかも弾力的にし、巧緻性を養い、注意力を高め、意志力を強め、心とからだを爽快にするスポーツはほかにない。晴れわたった冬の日に、スキーをつけて森の中を滑走していく・・・・。

これにまさる健康的で、そして純粋なものがあるであろうか。深々と雪におおわれた森や山のすばらしい自然にまさる清らかで貴いものがほかにあるだろうか。樹木のある急斜画を飛鳥のように滑り下ることにまさる爽快で新鮮な、生気をかき立てるものが、ほかにあるであろうか。

明るく澄み渡り、張りつめた冬の大気が、そしてタンネの小枝が頬をかすめ、われわれの頭脳も、そして筋肉も、ふいにあらわれる未知の障害物をかわすために極度に張りつめる。

日常の文化生活はいっぺんにわれわれの頭から拭いさられ、汚れた空気もろとも、はるか後方かなたへ遠のいてしまうかのようである。

われわれはスキーと、そして自然と、渾然としてひとつになってしまうのである。スキーは、からだを鍛えるばかりではなく、心も養い高めるものであり、多くの人が予感しているよりも、いっそう深い意義をもっているのである』


     フリチヨフ・ナンセン=ノーベル平和賞受賞者


 現代のスキーヤーでも、実感できるこの言葉が、百年以上も前の言葉と信じられますか。そしてこの考え方は、ヨーロッパでは脈々と続き、熟成しているのではないだろうか。

「スキースポーツは文化だと、文化の熟成には時間がかかると・・・・」。

ここまで考えると、"21世紀もスキーの世紀” "スキーはスポーツの王者だ”と多少は明るい気がしてきた。



 このような、SJの編集長の論説を、ウ
そうだなぁーって うなずきながら読んでいると クラブ内で反省会をしなければと思いました。

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