安土城址の秋

              2007.10.28. 蒲生郡安土町




安土山パノラマ

 秋も深まり日本酒のおいしい頃となりました。 体力を増強・維持しょうと・・・ゆったり・のんびりとチャリンコでデジカメを携えて 今日は、安土城址近辺を走る。  ・・・といっても15分ぐらいで到着である。

安土城址のある山並から繖山(きぬがさやま)の全景と安土城考古博物館文芸の郷です。 青空が澄みきって爽やかです。


上記画像は、180°のパノラマ合成写真です。

 左右に道路が確認出来ますが、カメラマンの前後が写っているのです。 




コスモス畑
コスモス畑です。近年、休耕田にたくさん栽培されるようになりました。 もんしろ蝶が、ひらひら舞ってました。


日本経済・農業の豊さをあらわしているのかな?それとも、農家のパーフォーマンス・・・・・・・ 一般市民とっては、心が癒されます。 

食料自給率40パーセントそこそこなんですが・・・・・なんだかなぁーーーー
ひまわり畑  秋のひまわりです。夏の花だとばかり思っていましたが・・・いまごろに咲く品種があるんですね。 花は、南方向を向いてます。

すばらしい、余裕の日本農業ですなぁー


そんなこんなで今回は、安土城跡をチョコッとだけ ? インフォメーションサービスします。

この情報は、スキーにどんな関係がありましょうか・・・?そんなことはございません。 『天下をとる!』  なに事にも好奇心を ・ 出来る事には最善を。
 


説明板

 【現地説明板】

 
  特別史跡安土城跡現地説明板の内容


 安土城の築城は、織田信長が武田勝頼を長篠の合戦で打ち破った翌年、天正4年(1576)に始まります。築城にあたっては、畿内・東海・北陸から多くの人夫が徴発され、当代最高の技術を持った職人たちが動員されました。

まさに安土城は天下統一の拠点となるべく当時の文化の粋を集めたものだったのです。築城開始から三年後の天正7年には天主が完成して信長が移り住みました。

しかし、その三年後天正10年に本能寺の変で信長が殺されると、城は明智光秀の手に渡り、その光秀が羽柴秀吉に敗れたすぐ後に天主・本丸は焼失してしまいます。

それでも安土城は織田氏の天下を象徴する城として、秀吉の庇護の元で信長の息子信雄や孫の三法師が入城を果たし、信長の跡を継ぐものであることをアピールします。しかし、天正12年小牧長久手の戦いで信雄が秀吉に屈すると織田氏の天下は終焉を迎え、翌年安土城はその役目を終えて廃城となるのです。


その後江戸時代を通じて信長が城内に建てた見寺がその菩提を弔いながら、現在に至るまで城跡を守り続けていくことになります。

安土城跡は大正15年(1926)に史蹟に、昭和27年(1952)に滋賀県蒲生郡安土町・東近江市(旧能登川町)にまたがる約96万uが特別史跡に指定されました。

昭和15・16年(1940・41)に天主跡と本丸跡の発掘調査と整備が行われ、昭和35年〜50年(1960〜1975)にわたって主郭部の石垣修理が行われました。

昭和57・58年には信長400回忌にあわせて城跡南面の平面整備が行われています。

そして、平成元年度(1989)から安土城跡を将来にわたって永く保存し、広く活用することを目的として『特別史跡安土城跡調査整備事業』が20年計画で行われています。



入り口 入城口
大手道
 安土城跡はハ見寺(臨済宗)の私有地なのです。

今までは見学
無料でしたが、2006年9月1日より大人500円 子供(小学生、中学生)100円となりました。

    開山時間は午前9時、最終受付は午後4時。

 大手道は、信長の威信を示すかのように、大手門跡から天主に向かってまっすぐ180m程登る、幅8〜9mの堂々たる石段道です。

道の両側には、幅1.2mの石敷側溝と、幅3.6mの石塁を伴っています。安土城正面の構えにふさわしい規模と構造を有しています。



天主台入り口
伊吹山遠望
              天主台跡の入り口             天主台近くから眺めた  伊吹山


説明板

【現地説明板】


 天主台跡の現地説明板内容


 安土城の天主は・完成してからわずか3年後の天正10年(1582〕6月に焼失してしまいます。その後は訪れる者もなく、永い年月の間に瓦礫と草木の下に埋もれてしまいました。ここにはじめて調査の手が入ったのは、昭和15年のことです。

厚い堆積土を除くと、往時そのままの礎石が見事に現れました。この時に石垣の崩壊を防止するために若干の補強が加えられた他は、検出した当時のまま現在に至っています。

安土城天主は、記録から地上6階、地下1階の、当時としては傑出した高層の大建築であったことがわかります。皆様が立っておられる場所は、地階部分ですが、天主台の大きさは、これよりはるかに大きく2倍半近くあります。現在では、石垣上部の崩壊が激しく、その規模を目で確かめることはできません。

下の図は,建設当時の天主台を復原したものです。その規模の雄大さを想像して下さい。
 


三重塔


見寺三重塔」 (そうけんじ) 

ハ見寺三重塔です。信長時代の遺構です。

手を伸ばせば、庇
(屋根)に届くような近くに建っています。

重要文化財・安土城炎上に伴い、現在残っているのはこの三重塔と・楼門の2つだけとなっている


印

天下布武の印判
(天正3年
)

説明板

石文


人間五十年 下天の内をくらぶれば 

夢幻のごとくなり。

一度生を享け滅せぬ者のあるべきか。


幸若 『敦盛』の一節
   
   山門

「楼門(ニ王門)」

 重要文化財・三重塔をちょっと下ったところにある。2度の火災にも焼け残ったこの門は往時の威容を十分に伝えてくれる優美な門です。

最近の映画 【憑神】 (妻夫木 聡 主演)で、ロケーション地として、この山門が出てきました。

 さて、今日28日は、準指導員受検予定者の理論養成がありました。T.Tanaka. Shimazaki. A.Kitano. Ishii が出席しました。
 全体で、45名が、救急法・AEDを熱心に受講したとのことです。バヤでは、今シーズンは、Kawamataを含め5名が、受検予定です。 集中して下さい。
 
 安土城跡を詳しく知りたい方は、
淡海の文化財:安土調査研究所をClick!

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