Top >What's New>Ogasaka >Baya >SAS >SAJ
                      サイトマップ

2014クラブ員レポート⑤.etc
2014.02.08-09.  奥神鍋・西日本技選 
2014.02.08-09.  糸魚川・デモ講習会 
2014.02.  ソチオリンピック 
2014.02.16.  箱館山・BC級検定員検定 
 40112

全景

かに
西日本スキー技術選手権■ 
                2014.02.08-09.
 奥神鍋スキー場

 奥神鍋スキー場で行われた西日本スキー技術選大会にバヤ代表で参加してきました。男子190人、女子60人の参加でした。

 現地到着していきなりこぶ小回りからでした。前日入りしてる選手が滑ってカリカリのこぶになってる様子だったので怪我しないように上から真ん中まではゆっくり滑って後半は直線的に滑って
240 128位。

 種目大回り。スタートすぐアイスバーンだったので暴走しないように滑ったけど両サイドがデラ掛けのモサ雪が残っていて失速して236139位、全く動けてないから終了後居残り練習。

 夜は身体をほぐす為に電気マッサージとちょっとビール。 と、そこへ竹田征吾さんから携帯に「飲んでないでがんば!」と激励メッセージ。完全に行動パターンを見破られてます。


 2
日目総合滑降 。コーチからその短い板で滑るの?バタつくかもと言われたけど「チーム1本」メンバーとしては種目ごとに板を替える訳にはいきません!242137位。案外点が出た。最終種目小回り整地滑りやすいバーンでしたが234144位。総合148位でした。

 外脚にしっかり乗って板をたわまして次のターンにつなげている滑りをしている選手がいい点が出ていました。

  今回泊まった奥神鍋荘のカニ旨かった~



   レポートはさんぺいです      リザルト県連HPへ


集合
↑ Mouse Over
レッスン風景

青木Nデモ

青木選手
デモ講習会■ 
             2014.02.08-09.
 糸魚川シーサイドバレー 


 masao先生 熊の湯は冷え込んでいるのではないでしょうか?お体に気を付けてくださいね!

 さて、2/8~9に糸魚川シーサイドバレースキー場に行ってきました。糸魚川
ICを降りてからの道中は、奥伊吹や箱館山に行くようなローカルな雰囲気で、小さなスキー場でしたが、空いていて練習には良いバーンもあり、なかなかグッドな条件でした。

 今回は、以前にクラブのデモ講習で教わった青木哲也ナショナルデモに、プリンス川島さんと北野が、もう一度教わりたいと、スキー大学のパーティーでお願いして実現したものです。

 参加者は、黒木さん、西出さん、山岸さん、目良さん、荻野夫妻、昌美、川島さん、北野の9名でした。岡田さんがインフルエンザでキャンセルとなり残念でした。


 2/8はフリースキーでビデオ撮りをしました。

 その夜の宿泊は、岡田さんが企画してくれた糸魚川市内を満喫するツアーで(岡田さんは欠席)、月徳飯店の名物「ブラック焼きそば」をいただきました。

 ここの中華はなかなかおいしかったです(岡田さんありがとう!)。 熱燗の紹興酒で、ほろ酔いとな
り、ホテルでもワイン・ビールといつも通りにたくさん飲んでしまいました。


2/9はデモレッスン。


生憎の天気で視界不良でしたが、午前は大回り、午後は小回りと実践の中での動きを練習しました。みんなの滑りがどんどん変わり、それぞれの課題をたくさんもらえたと思います。中でも、綾ちゃんは褒められて、たいそうご機嫌でした!



当然ですが、青木哲ちゃんの滑りは上手かった~!また、教わりたいです。


          レポーター きたの

滑降 
↑ Mouse Over

 
 男子・・滑降■ 2014.02.  SOCHI

 アルペンスキーの男子滑降は、ワールドカップ(W杯)未勝利の新鋭マティアス・マイヤー(オーストリア)(N H K動画へ)が、2位と100分の6秒差の接戦を制した。ソチ五輪の 滑降は、高低差1075メートル、長さ3495メートルのコースを2分余で滑りきるスピードレース。


   スイスニュースHPへ スイスニュースHPへ
ソチ冬季五輪滑降コース設計者は、スイススキー界の大スターベルント・ルッシ

スイス人ベルンハルト・ルッシ(SWISSinfo動画へ)さんは、過去の世界選手権やオリンピックの男子滑降で数々のメダルを獲得し、スイス・スキー界の伝説となった元アルペンス キー選手。

引退後もスキーへの情熱は衰えず、スイス国営放送でスポーツの司会を務めたり、滑降コースの設計を手掛けたりしている。

 場所によっては時速130キロを超え、死の危険性もつ きまとう。滑降は練習の機会も少なく、経験がものをいう種目。

 世界ランク1位のスビンダル(ノルウェー)は31歳で、36歳のミラー(米)もいまだにトッ プ選手だ。

そんな種目で、23歳が金メダルを勝ち取った。マイヤーの父ヘルムートさんは1988年カルガリー五輪スーパー大回転の銀メダリストだ。


だが、マイヤー本人は滑降ではまだ、世界選手権はおろか、W杯でも5位が最高で、表彰台にすら立ったことがない。ただ、直前の公式練習では一度、トップタイムを出していた。

1年前にW杯のプレ大会がなく、多くの選手があまり慣れていないコースにいち早く適応
した。


「優勝は信じられない。でも、今日のコースを下見して、自分向きで勝てると思ったし、レースが待ち遠しくて仕方なかったほどだ」この金メダルはオーストリアにとって2大会ぶりのアルペン男子のメダルだ。

4年前のバンクーバー五輪で、オーストリアは36年ガルミッシュパルテンキルヘン五輪に初出場して以来、初めてメダルを逃した。そんな屈辱を振り払ったのが23歳の伏兵。オーストリアの層の厚さを改めつける結果だった。

   
(河野正樹) asahi.com

 混雑中 検定中 合格しました

県連B・C級検定員検定会■            2014.02.16. 箱館山スキー場 


 2月16日(sun)、箱舘山スキー場で、公認スキー
B級・C級検定員検定会が行われました。team BAYAから、B級に龍碑虎、C級にMERA氏、MURAMOTO氏、YAMAKI氏が検定に挑みました。)

 山は昨日からの強風のためゴンドラは運休。駐車場に入る道路も大渋滞でした。ゴンドラ
&リフトがは午後には動くメドが立ち、プライズと級別テストは午後から実施する事が決定し、我々の理論試験も山の下にある公民館で実施とのインフォメーションがあり、てくてくと歩いて山を降りました。会場は長谷院というお寺の集会所のような所でした。

 約1時間の理論試験も無事終わり、実技テストのため山に上がると、ゴンドラ待ちとチケット購入の長~い列で戦意喪失状態。しかも検定バーン横のリフトも運休状態で、プライズテストのコブ斜面は、我々がハイクして大汗をかきながら作りました。「ガス欠や!ビールくれぇ!」の声も聞こえてましたが
……。しんどかったです。

 実技は、テクニカル、クラウン、1級、2級のジャッジを行いました。
C級の方は初めてのジャッジで少し戸惑ってる方もおられましたが、3時半頃には無事終わりました。さて、結果ですが、教育部長が話されてた「今までB級、C級検定会で過去に3~4人の不合格者がいた」という言葉が頭をかすめました。いつになってもこの時は、ドキドキしますね。B級、C級とも全員合格でした。

 また直前に、ごんぞう氏から「トップ合格」の指示があり緊張しましたが、私事ですが理論トップ合格させていただきました。今後は、厳正公平なる判定により、検定会、バッジテストを円滑に運営し、その権威を保持するよう心掛けます。

 今週末から正指検定、その翌週は準指検定と今シーズンの大きなヤマ場を迎えます。我々、検定員検定受験班の後に続いて全員合格し、全員で祝勝会を楽しみましょう。

   
レポートは、龍碑虎こと、よしだたっちゃんでした。〓 〓〓龍碑虎 


  *伊藤みき  ソチオリンピック 

   礼留飛    表彰台 
     ↑Mouse Over 
ジャンプ 男子団体ラージヒル■   2014.02.17. SOCHI

 五輪ジャンプ: 日本が銅メダル 男子団体ラージヒル
                 毎日新聞 20140218日 0407分(最終更新 0218日 0552分)

 【ソチ江連能弘】ソチ五輪第11日の17日、ノルディックスキー・ジャンプの男子団体ラージヒル(HS140メートル、K点125メートル)が行われ、日本は1024.9点で銅メダルを獲得した。

 1988年カルガリー五輪で採用されたこの種目で日本は、葛西紀明がメンバーだった94年リレハンメル五輪の銀、原田雅彦、船木和喜らを擁した98年長野五輪の金以来、4大会ぶり3度目のメダル獲得になった。

 優勝は1041.4点のドイツ、2位は1039.4点のオーストリアだった。団体は1チーム4人が各2回飛躍を行い、その合計がチーム得点になる。

 日本は、今大会個人ラージヒルで銀メダルの葛西紀明(土屋ホーム)のほか伊東大貴(雪印メグミルク)、清水礼留飛(同)、竹内択(北野建設)の4選手が出場した。1本目で葛西が134メートル、清水が132.5メートルを飛ぶなど3位につけ、上位8チームによる2本目でも着実に加点した。

 今の日本チームを葛西は「一つの塊」と表現する。一つのミスが命取りになる団体戦。一人ひとりが力を出し、チームワークで乗り切った。
 気配りと実力でまと
めてきたエースは涙をぬぐい、晴れやかな表情で言った。「けがや故障や病気。みんな万全な体調でなかったんですが、メダルを取れたことが最高にうれしい。 メダルの色は関係ない」    
(笠井正基) asahi.com


 銅メダル獲得から一夜明けた18日、葛西ら4選手が記者会見した。

 そろって口にしたのは、チームの一体感。

伊東は「自分が一番になりたいとは思っているが、オンとオフでも家族同然。隠しごともない」、

竹内は「刺 激しあえる仲。皆で強くなろうという思いがあり、相乗効果を感じる」。

清水は「日ごろからかわいがってくれる素晴らしい先輩です」と最年少らしく先輩を立 てた。

最年長の葛西は「礼留飛以外は友だち以上、恋人未満。恋人に近い。礼留飛は若くて、まだアホなところがあるので、これから仲を深めていきたい」と笑 いを誘った。

 試合後の会見で、「チャーグ・ストラウス症候群」という血管の難病の可能性が高いことを明かした竹内の存在も、チームを奮い立たせた。「病気のことを考えると涙が出ることもあった」と葛西。

 伊東は「はい上がった択(竹内)は強い」と話した。竹内は昨年11月ごろ出始めたせきが止まらず、高熱も続いて年明けに入院したという。「五輪に出られないんじゃないか」と不安が頭をよぎったとい う竹内は、「家族の支え、いろいろな人の助けで五輪に来られた。精いっぱいやれ、メダルが取れた。本当に感謝しています」と話した。  
(稲垣康介)



◇上右画像 銅メダルを獲得し、フラワーセレモニーで喜ぶ(左から)清水礼留飛、竹内択、伊東大貴、葛西紀明
    =ロシア・ソチのルスキエゴルキ・センターで2014年2月17日、木葉健二撮影


注1)参照、
     清水礼留飛(レルヒ)選手(新潟県妙高市出身)の名前ですが、きっと下記の記述にある人物からではないかと思います。
     間違いない!

     スキー界では、その名を知らない指導員はいない。 準指導員検定受検者にとっては、暗記必須。理論検定に出題されるかも!? 
     日本スキーの歴史に重要な人物です。


1992年  アルベールビル  4位 レルヒさん
レルヒさんHPへ 
1994年 リレハンメル
1998年 長野 
2002年  ソルトレークシティ  5位
2006年   トリノ 4位
2010年  バンクーバー  5位
2014年  ソチ

注1)日本の近代スキーの始まり

 1911明治44)オーストリアのテオドール・エドレル・フォン・レルヒ少(1869-1945年が豪雪地高田(新潟県)の第13師団に着任しました。

 彼は師団命令により、軍人にアルペンスキー術の指導を行ないました。日本で初めての本格的なスキー術の講習会が、
12日からヵ月間34回にわたって実施されました。

 ツダルスキーの弟子であるレルヒ少佐が伝えた技術は、長い…本杖を用いた半制動滑降とボーゲンがその特徴でした。 第
13師団は、軍だけでなく、広く民間への普及を図り、短期問に全国規模の基礎づくりに成功しました。

 翌年の
1912明治45に、北海道旭川第7師団に昇任、着任したレルヒ中佐は、ここでもスキーの普及とその後の基礎をつくりました。また、約年の滞在中レルヒ中佐は、富士山をはじめいくつかのスキー登山を行ない、冬季登山にも大きな足跡を残しました。

 2003平成15年)に、全日本スキー連盟は関係諸団体との協議によって、レルヒ少佐によって初めて日本で本格的なスキー講習が行なわれた12日を記念し、この日を「スキーの日」に制定しました。 
-2014年度スキー指導と検定より抜粋-


     葛西

 葛西感涙「みんな頑張ったんで」 奮闘した後輩気遣う■   20142181146

 葛西紀明(41)は最後のジャンプを終えてメダルを確信すると、待ち構えていた竹内択(26)、清水礼留飛(20)と抱き合った。「ありがとう」と歓声が飛び、盛り上がる観客席に日の丸を振った。伊東大貴(28)はひざのけがで歩み寄れなかった。4人とも満面の笑みを浮かべた。

 表彰式を終えると、葛西が泣いた。個人で取った銀メダルでの笑顔とは対照的な姿だった。「うれしいです。みんな頑張ったんで
……。何より団体戦で、後輩たちにメダルを取らせてあげたかった」。
 それぞれ、けがや病気を抱えながらも奮闘した後輩を気遣った。

ノーマルヒルを欠場するほどのけがを抱えた伊東は、着地後に左手を地面に着いた。歩くとき、葛西の肩を借りた。
 「ひざは本当に痛かったが、終わる
まで言いたくなかった。自分に大丈夫と言い聞かせた。つらかったが、最後までもってよかった。初めて悔いのない五輪になった」。目が真っ赤になっていた。


 竹内は結果が出た後、難病を患っている可能性があることを明かした。「絶対に五輪には出たいという気持ちだった。
 精いっぱいのジャンプが飛べた」そんな竹内を見て、葛西は「この病気のことを考えると、涙が出ることもあった」、伊東は「はい上がった択は強い」と話した。

 
初五輪の清水は第1ジャンパーとしてチームに勢いを与えた。「ものすごく緊張した。先輩がここまで苦労して頑張ってくれたおかげ。良い経験になった」

 普段はライバル同士の4人が結束力で、ジャンプ団体で長野五輪以来16年ぶりのメダルを取った。

 葛西は言った。「礼留飛も僕の家に来て遊ぶし、みんなでどんちゃん騒ぎもする。僕らは何も隠さず、心の通じ合った仲。一つの塊です」 その言葉を聞いた伊東が笑った。 「これ以上ない言葉。最高です」
    asahi.com


(C) Copyright BAYA Club, All Rights Reserved.

 Top What's NewOgasakaBaya SASSAJ
masao
                        サイトマップ